天界の秘義 第3巻 Arcana Caelestia Vol 3

第三巻は、旧約聖書「創世記」第18章から22章までの内的意味の解説 します。


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内容紹介

まえがきより

 第一巻から始まった創世記物語は、第三巻で中心的課題に接近していきます。それは主の人間性が神化していく過程です。同時に,人の再生もそれを通して表象されます。アブラハムもサラも、また二人の周りをとりまく登場人物、それに状況の変化も加えて、すべて主イエスの幼年時代の精神的変化、葛藤、克服を表わします。

 ロトとその妻、二人の娘、その婿たち、それにソドムとゴモラの住民は、すべて堕落と退廃の一途をたどる霊的教会、それを何とか救いたいとする主の愛を示します。善人が五十人いればから始まって、四十五人、四十人、三十人、二十人、十人いれば滅ぼさないという言葉は、主のとりなしによって、人類と教会を救おうとする極限までの愛を示します。しかしソドムとゴモラはその罪によって、自滅しました。しかもロトたちも堕落していきます(創世記第18-19章)。

 妻サラを通して、アブラハムに子供が与えられるという天使からの知らせは、新しい合理性の誕生を示します。しかしそれは、かつてハガルを通して与えられたイシマエルが、自然的合理性であったのにたいし、サラから生まれる子イサクは、神的合理性で、主の栄化への前進です。

 主がマリヤの胎内から、この世に誕生された理由は、もって生まれたエホバなる神の神性によって、マリヤから継承した遺伝悪を伴った人間性を、完全に神化して、神人性を完成させ、栄化することでした。エホバなる神には、天的・霊的人間性が備わっていましたが、それが自然的人間性にまで降下する必要があったわけです。合理性の神化は、その第一段階です。

 合理性は、霊的真理にたいしては、元来盲目です。自然的真理を合理的なものとして把握できますが、信仰対象となる霊的真理には、理解力が及びません。ここに信じる行為が要求されます。それがアビメレク王の態度であらわされます。妹としてのサラは合理的真理ですから、美しく見え、それと結ばれたいと思いますが、サラが預言者の妻と知って、驚いてサラをアブラハムに返します。つまり妻としてのサラは、霊的真理でした。

 アビメレク王が預言者の妻をめかけにすることが、とんでもない越権行為になり、それが王の死を招くと神のお告げを受けたように、主の幼少時代、みずから芽生えてきた合理性を使って、信仰の真理を窮めたいと思いますが、それがとんでもない越権行為であることを知ります。主の合理性は、従属の秩序に従うことによって、合理性の神化が進みます(創世記第20章)。

 アブラハムがその子イサクを犠牲としてささげることを命じられ、それに服従したことは、主のこの世で果たすべき最後の試練・誘惑を表わします。アブラハムがイサクを伴って上ったモリアの地は、エルサレムの山であったことも、偶然の一致ではありません(創世記第22章、2775節)。

 以上、本書第三巻には、創世記第18-22章までの物語が、天使たちには、どのように理解されているかを開示するもので、人の知恵を凌駕する部分が多々ありますが、丹念に、しかも謙虚に、読んでいくことによって、読者を見守る天使からの助けを経験されるに違いありません。