新教会

「新教会 New Church」とは「新しいキリスト教会」という意味で、エマヌエル・スヴェーデンボルイの記した著作に基盤を置いて設立された教会です。発祥については、1783年に英国ロンドンで最初の新教会集会がありましたから、200年以上も前のことです。英国詩人ウイリヤム・ブレイクは、その当時の最初の会員でした。日本では内村鑑三の無教会の起こりよりやや遅れて、1911年仏教学者の鈴木大拙によって、初めてわが国に正式に翻訳・紹介されています。


 新教会の影響をうけている宗教家、思想家、文筆家は驚くほど多い事実にたいし、新教会の名であまり知られていません。その理由は見えない形での普遍的教会を重視しているためでしょう。ただし人的組織を軽視しているわけではありませんが。従来のキリスト教と違い、キリストを信じなければ救われないとは言いません。神を認め、悪を避け、良心に従って生きれば、人は皆かならず天界に迎えられるよう造られていると教えます。


 仏教、神道をも包摂できるキリスト教として、ある意味では日本人には一番あった寛容なキリスト教です。もと駐日アメリカ大使E・ライシャワー氏が、日本人のメンタリティーの底にあるものは、儒教とキリスト教だと言いましたが、そのような意味での匿名性 anonymityをキリスト教に求める とすれば、新教会はそれに該当します。


教えのポイント:次の五つにまとめられます。

1.唯一の神が存在します。

2.聖書の〈みことば〉は、神の導きの手です。

3.人はだれでも救われます。

4.死後は、霊界を経て、天界か地獄に行きます。

5.科学には、限界があります。


1 神: 唯一絶対、全知全能の神が存在することを認めます。その点、従来のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教などと共通しています。ただ今までのキリスト教との違いは、三人格の三位一体でなく、一人格の三人性を信じます。十字架は、主キリストの最後の試練であったため、教会のシンボルにはしません。戦いそのものより、勝利にこそ意義があり、教会のシンボルは、復活された主です。


新教会は、神人イエス・キリストを唯一の神とします。キリストの神性をぼかして偉人の中に加えたり、聖者の一人と考えると、多神教的になります。その点からみて、新教会は、徹底したキリスト教です。現在ではカトリック、プロテスタントともに、以前のように神の三人格的三位一体論を強調しなくなりましたが、その点からみても、新教会は、従来のキリスト教に先がけての「修正キリスト教」です。


2 〈みことば〉: 新教会は、従来のキリスト教とは、同じ根から生え出た新芽です。すなわち聖書を主の〈みことば〉として、中心に据えます。ただ、文字の意味だけでなく、霊の意味(または内的意味)があり、旧約聖書の中の29巻、新約聖書の中5巻、全34巻を、内的意味をもつ「みことばの書」とし、スエデンボルグの神学書全巻を、〈みことば〉の内的意味を告げる書とします。


「内的意味」とは、人間の霊魂のように、内部に秘められた生命のことで、天界の光で初めて理解できる神の真理です。 例えば、旧約聖書の始めにある天地創造物語も、文字通りにとると、神が七日かかって宇宙を創造されたことになりますが、内的意味では、人間の霊魂が暗黒から目覚めて、新しい〈いのち〉に再生していく過程を表わします。新教会には、科学と矛盾する〈みことば〉はありません。自然界も、神の〈みことば〉によって造られたからです。聖書にでてくる非科学的出来事も、内的意味の面で、すべて真実を語っています。


ヘブル語で書かれた旧約聖書を完成させたのは、ギリシャ語で書かれた新約聖書です。その両聖書を補充完成させたのは、ラテン語で書かれたスエデンボルグの著作です。人類はこの著作をとおして、新しい啓示の時代を迎えました。「新エルサレム教会」とは黙示録の「新しいエルサレム」に象徴される新しい教会を指しています。


3 人間の救い: 人間は罪への傾向をもって生まれる以上、人には人を救う力はありません。創造主である神だけが、人の本当の幸福を知っています。幼い子供たちの幸福を思わない親はいないのと同じです。 人類の祖先は、最初創造の美を保っていましたが、やがて神への従順をこばみ、神から離れ、罪におちいりました。悪はアダムとエバだけでなく、人類が神から離れた過程で積みかさねてきたものです。


 神は人間を救うため、マリヤの肉体に宿り、この世に生まれました。キリストは一生をかけ、マリヤから受け継いだ遺伝悪を、戦いを通して浄化・聖化され、やがて死と復活によって、人間性を栄化されました。 これで人間に及ぶ地獄からの影響を断ち、人を悪から解放することになります。 キリストを信じる者は、神から注がれる愛と知恵の流入によって、地獄の流入と遺伝悪から、次第に解放されます。ただし人は、意識的に悪を避けて善をなし、十戒を守っていかなくてはなりません。


 自分に内に巣食う自己愛と世間愛を駆除し、神による真理と愛を実現させていくことで、救われていきます。神のみ助けによって、人と社会に役立つ人間として自己改革を進めるとき、新しい人間となって、死後は天界に迎えられます。これが人間の救いです。救いも天界も、この世から始まっています。キリスト教以外の宗教の人でも、良心にしたがって悪を避け、善をなし、隣人や社会に役立つことによって救われます。


4 死後の世界: 死後、霊魂が肉体をはなれると復活し、霊の体を身に帯びて霊界にはいります。霊界には、山川草木、動物、男女の人間と社会があり、各自は過去の人生の総まとめをする期間が与えられます。人は自分の内心と外見のちがいに気づき、これを機会に悔い改めて天使たちの導きに従う者は、天界への道を準備し、本人に適した社会に組みいれられ、能力と性格にあった職業によって、他人や社会に役立つ奉仕をします。自分の醜さに気づきながら、反省も悔い改めもない人は、好んで天界よりも地獄を選ぶ人たちです。地獄にもその性向にあった社会が存在し、何らかの形で、他人や社会に仕えていくことを強いられます。


ただし、幼児で他界した場合、霊界では母親天使によって保護と教育を受け、天界にはいります。天界にも結婚があり、二人一組の天使となって、隣人や社会に奉仕します。 この世で計らずも良い配偶者にめぐり会えなかったり、結婚できなかったりした者は、霊界あるいは天界で、良い配偶者を主から備えられます。また結婚していても、信じることが違っていたり、霊のスフェアが違う二人は、霊界で次第に別れますが、良い人間には、かならず最上の配偶者を賜ります。


来世の状態は、報いとか罰でなく、本人が築いたありのままの〈いのち〉の継続ですから、善人は天界で愛と平和と協調の生活をし、悪人は地獄で憎悪と嫉妬と闘争の生活を営んでも、それなりに充実したものになります。天界に向かう人は益々天的になり、地獄にむかう人はより地獄的になります。


5 宗教と科学: 人の顔や声が内心の反映になるように、外面と内面には一定の相応があります。同じように、自然界のすべては、見えない霊の世界との相応によって成り立っています。古代人は自然を眺め、直感的に霊の世界を理解できました。神話的人物や動物は、すべて霊的実在との相応から生まれました。人間の心が堕落するにつれ、感覚的な知恵から物事を判断するようになりました。科学は五感による経験を土台にしていますから、霊肉の相応を直感できないで科学に走るとき、人は誤ります。


 新教会の新しい啓示のパイプ役になったスエデンボルグは、当代随一の科学者でしたが、科学の限界をよく知っていました。神の存在は感覚で把握できません。科学だけを信じる人は、無神論になります。男女の人体を科学的に調べても、結婚の最終目的が不明なため、子供への義務と責任が薄らぎます。科学万能になれば、それだけ離婚も増えます。肉体だけの絆は弱いものです。科学しか信じない医者は、人体を物質の塊としか見ないため、人の苦しみや死について感動がなくなります。医者は危篤の患者に延命策をほどこしながら、自分自身は、そのように扱われたくないと思います。


 このギャップを埋めることは、科学には出来ません。科学に限界があることは、日常の新聞を見ただけでもニュースの大半は人の不幸です。犯罪、戦争、イジメ、差別、自殺、他殺、窃盗、収賄、背任など、科学の力を越えています。科学技術の進歩の恩恵を一番受けている先進国の大都市にこそ、犯罪、麻薬、離婚、人種差別などの問題が集中します。


 神は人間を導くため、〈みことば〉と自然界の二つをお与えくださいました。人は〈みことば〉に導かれて自然界を見るとき、神の知恵と真理を探求・発見できますが、それがなければ科学は暴走し、全人類を破滅に陥しいれる可能性があります。人類の進歩とは、人間一人ひとりが、与えられた能力をつかって神の真理を探求し、人類社会の共通の幸福のために貢献し、地上で神のみこころを行い、やがて天界に導かれて、天界をさらに繁栄させていくことです。


教義についての簡単な解説には、『新エルサレムと天界の教義』、

詳細な解説は『真のキリスト教』上、『真のキリスト教』下を参照してください。

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