真のキリスト教 下巻 Vera Christiana Religio 2

愛とは、自由とは? 

また再生は自己改革に始まり、

自己改革は悔い改めに始まる。

あがないにおける功徳転嫁の誤りを指摘。

「代」の終わりは「世」の終わりではない。


四六判 804ペ―ジ   定価¥3000

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内容紹介

TCR587. 人には生来の悪があり、その悪は人の自然的意志にこびりついています。そして前述のように、意志は理性を自分にてなづけ、自分とウマがあうようにもっていきます。したがって人が再生するためには、仲介因になっている理性をとうして始めなくてはなりません。つまり理性が受けとる情報です。まず両親と教師からそれを受け取り、そのあと〈みことば〉を読み、説教を聞き、読書とか会話をとおしてそれを会得します。理性がうけとる情報のことを「真理」と言います。だから自己改革は、理性をとおして行われるとも、理性が受け取る真理をとおして行われるとも言えます。~

 人間の意志は、生まれつき悪いということ、そして何が悪く何が善いかは、理性が教えてくれるということ、また一方を欲すれば、他方を欲しないということがはっきりすれば、人は理性をとおして、自己改革を始めることになります。「自己改革」とは何かというと、人が悪は悪、善は善として見、それを認め、善を選びとらなくてはならないと思う心の状態のことです。そして「再生」の状態は、悪を避け、善を行いたいと望むところから始まります。


訳者あとがきより

 原典訳『真のキリスト教 上巻』(第一章~第六章)を発行して一年半のち、同書の下巻(第七章~第十四章と追補)を、発行できることは、小社アルカナ出版、および訳者にとって喜びと感謝に耐えません。

 ラテン語原典として使ったS・H・ウースター版の扉にもあるように、本書の正確なタイトルは、『新教会の普遍神学をふくむ真のキリスト教 Vera Christiana Religio continens Universam

Theologiam Novae Ecclesiae』で、いわば「新教会神学大要」あるいは、「新教会教義要綱」です。 読了の方はお分かりと思いますが、上巻と下巻を含め、新教会の教義が従来のキリスト教と違う点は、第十一章「責任の所在 Imputatio」に浮き彫りにされています。それは本書下巻424~426ページに、わずか3ページですが、明確に述べられています。もしこの点で誤れば、キリスト教の解釈について、『教会が全滅するほどの衝突と混乱が起こる』と記されています。一つボタンをかけまちがえれば、キリスト教全体がゆがんで解釈されるということです。

 たしかに言えることは、「宗教」とか「救い」というと、自力か他力のどちらかに傾き勝ちです。一方では、自分の業の代償として救いを考え、他方では、神や聖者の功徳に頼ったオカゲサマ的な責任回避がともないます。キリスト教だけでなく、どんな宗教にも、人が自分で行った悪を、だれかの功徳にすりかえる信仰と、その代償としての救いを求める危険があります。

 あがないの最大の意味は、主キリストが神としての霊魂をもった人間であり、その人間は、マリヤからくる遺伝悪を継承しながらも、その克服のため最後の試練としての十字架をしのばれ、復活してご自分の人間性を完全に神化され、栄化されたということです。

 人が救われるのは、一瞬でなく、主を天地の唯一神として信じ、悪を避けるという二点から始まり、堕落した分だけ逆コースを行く必要があります。善はすべて主からであり、悪はすべて地獄からであると同時に、人間には、どちらかを選ぶ自由選択の権利が与えられており、いずれか一方を選択すれば、自分に同化し、自分の責任で、自分のものになります。

 再生とは、主の勝利にあずかっていくことですが、すり替えや、ただ乗り的なオカゲサマではなく、どんな小さな行いでも、人みずからが自由に、信仰の真理に意志を従わせてこそ、主の命が人のなかに浸透するようになります。主の真理と善の生命が浸透するには、主の真理を信じ、それに従うことですが、そのためには、遺伝的な悪を避けるという、苦しい戦いがあります。

 人間とは、神の命を盛る器です。これは新教会教義のなかで、もっとも重要な部分であり、そのすべてです。上巻の「あとがき」にも記しましたように、『真のキリスト教』が「真」であるのは、 〈神の三一性〉〈キリストの神人性〉〈あがない〉の三点を、主の啓示にもとづいて、明確にしていることです。アルカナ出版は、その意図にそって、本書の原典訳を出版いたしました。

  一九八九年六月十九日  新教会の記念日にあたって(本書712ページ参照)  訳者