神の摂理 De Divina Providentia

占い、予知、奇跡、幻示、心霊術、霊交術など、オカルト的興味は いかに危険か。人間奴隷化を企む闇の世界の陰謀を知る。神の摂理は 背後から気づくものである。


四六判 546ペ―ジ   

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内容紹介

DP326.(10)人には、血管とか内臓と呼ばれる神経繊維をもとにして組成された〈かたち〉があるだけではありません。皮膚、肢節、腱、軟骨、骨、爪、歯があります。これらのものは組織体それ自身にくらべて、生命の低い段階にあるわけですが、それでも組織体にたいしては、結び目、被膜、架台として役立っています。 天界の巨大人も、以上のようなものが全部備わっています。ですから一つの宗教を信じる人々からだけでなく、いろいろな宗教を信じる人から成り立っています。したがって、前述した教会の二大原則をもって、みずからの〈いのち〉をつくっている人たちは、みんなその天界の巨大人、つまり天界で、その場所を得、それなりの程度で幸福を味わっています。これについては前254節をいろいろ参照してみてください。


訳者あとがきより

 本書『神の摂理』の正確な原題は、『神の摂理についての天使の英知 Sapientia Angelica de Divina Providentia 』(アムステルダム、一七六四年)で、翻訳に使ったラテン語原典は、S・H・ウースター師監修による米国スエデンボルグ出版協会発行の一八九九年度版で、『神の愛と知恵』と合本になっています。著者エマヌエル・スヴェーデンボルイについては、小社アルカナ出版から、すでに原典訳『天界と地獄』(一九八五年)、『真のキリスト教上下』(一九八八、九年)、それに本書の姉妹編『神の愛と知恵』(一九九一年)を出版していますから、たいていの読者にとって予備的知識は十分おありだと思います。目次にもあるように十七章からなっていますが、簡単に解説しておきます。

 

 まず結論から先に言うと、『神の愛と知恵』のなかで述べているように、神が存在し、無限の愛と知恵で宇宙万物と人間を創造維持されているなら、現在どうしてこのような悪と不幸がはびこっているか、それにたいする神の意図は何か、そして人はどうすれば天界に入れるか、という質問に答えるのが本書の目的です。

 まず第一章から第三章までですが、人間を含めこの世のどんなものにも創造主である神のイメージが宿っています。それは神の善(または愛)と神の真理(または英知)が、被造物のなかで結合に向かって不断に働いているということです。人にとって、それは英知を増し自由に神の愛に応えていくということで、人はだれしも天界に行けるように予定されています。そのためのたった一つの条件は、悪いことをしないということです。悪を避ければ、神の流入によっておのずから神の像が心のなかに出来てきます。人のなかで神の像をつくる器は理性と意志で、理性によって神の英知を、意志によって神の愛を受けいれます。

 第四章から終章までは、神の摂理のルールの説明です。ここで当然問題になるのは、自力と他力の関係です。本書が繰り返し力説していることは、善はすべて神の力であるということ、そして人が自発的に努力して悪に対抗しないかぎり、その神の善を受けいれる器になることはできないということ、この二点です。人の自由意志と合理性を生かして、人がみずから努力しないかぎり神の像になれません。別言すれば、百パーセント自力でやらなくては、百パーセント他力が働かないということで、これが神の人間創造におけるルールです。

 このような原則をぼかすものにたいして警告を発します。まず奇跡、予知予告、天罰、それに霊媒的予定運命論は、すべては外部からの強制で、人の内部の改革と再生につながりませんから、霊的意味はないということです。それに人のチエや自然の配慮というコトバも、神の知恵と摂理をぼかすものとして排します。〈自然のオカゲ〉も〈人のセイ〉もよくありません。善はすべて神のオカゲであり、悪はすべて地獄のセイです。人はその中間にあって、いつも自由に選択でき、自由に選択した結果、その善または悪に同化していきます。善に同化すればするほど天界に近づき、悪に同化すればするほど地獄に近づきます。ですから無条件にゆるす神のお情けという発想はありませんし、人が滅びや地獄に予定されているということもありません、人間はあくまで自由に自分のことを決定する能力があります。

 それから積極的に人を天界に向けるものとして、自分の態度を自己強制して、悪に対抗すること、神が備えられた手段を充全に利用し、教義と〈みことば〉を学ぶことです。神のみ心に従って自己改革をし再生した人にとって、神の摂理についての予知はありませんが、反面、森羅万象とあらゆる日常茶飯事のなかで、神の摂理のみ手を背後から見るようになります。この世の名誉や地位や富なども永遠につながる価値をもってきますから、貧乏であればいいというわけではありません。この世の悪と不幸、戦争・不平等・差別・病気・貧困など、すべての悪は神の英知によっていずれは善用されるということです。神の善が人の悪に負けてしまうことはないからです。


 以上『神の摂理』の教えるところは、あらゆる種類の誤謬を排して、正しい神観と神慮観を植えつけようとすることです。それは信仰義認論を始めとして、自然主義、理神論、予定説、決定論、運命論、それに心霊術、オカルト、性善・性悪説などにある各種の誤謬を正します。結局誤りの根源は何かということですが、『神の愛と知恵』にもあるように、人のエゴにある悪い愛がすべてを捩じまげます。神の無限な知恵と愛に信頼し、時々刻々人間の内と外に働いている主のみ手を信じ、それにゆだね、そのみ心に従うことによって、人は神の像となり、万事にあって主の栄光が輝き出ます。

 『神の愛と知恵』と『神の摂理』の二書については、すでに仏教学者鈴木大拙が、『神智と神愛』(一九一四年)、『神慮論』(一九一五年)を翻訳出版し、その後も何冊か翻訳が出ていますが、いずれも英語訳からの重訳である点変わりません。ラテン語原典からの翻訳は、アルカナ出版のものが本邦初ということになります。翻訳には一定の訳語をあてはめることをせず、臨機応変に文脈に即してそれなりの工夫を凝らしました。本文のあちこちに付記した原文からのラテン語については、今後さらに適当な訳語が生まれることを期待して載せました。

 例えば、Providentia を「摂理」と訳していますが、神の全知にもとづく予見、配慮、計画、深慮、遠謀、処理能力などいっさいの徳性が含まれ、それに対応するものが、とくに第九章にある人間固有の prudentia です。これをは「思慮」とか「人知」とか「人のチエ」などと訳しましたが、この二つ名詞の語源は同じで、両方ともpro (前)とvidere(見る)です。その対応関係が分かれば、意味もより明確になると思います。


 一七六三年の当時、ラテン語原典の『神の愛と知恵』が出版され、その翌一七六四年に本書『神の摂理』が出版されたのを見ても分かるように、前掲書の後編のような内容です。つまり神がみずからの愛と知恵をもって、宇宙と人間世界を創造なさった以上、それを時間と空間のなかで、自然的・霊的にいかに維持していかれるかを解明したのが本書です。『神の愛と知恵』にも本書にも、また一七六八年出版の『結婚愛』にも、その原典のタイトルに「英知 sapientia」というコトバが使われています。したがって以上の三書を「天使的英知の三部作」と言います。アルカナ出版では、本書に続いて、この『結婚愛』を翻訳出版する予定です。これは神の像、神の創造の傑作として、人間という存在がどれほど高められるかを示すもので、以上の三部作の最後を飾る書です。宗教界、哲学・思想界、倫理道徳の世界、さらに個人個人の結婚生活に、今後もどれほど多くの影響を与え続けるかは、測り知れないものがあります。ご期待ください。


一九九一年五月十日    アルカナ出版代表   訳者 長島達也