結婚愛 De Amore Conjugiali

純潔は独身にあるのではなく、愛と真理の結合を表象する夫婦の結婚愛にある。純潔な夫婦は、天界で永遠にいたるまで結ばれ、一位の天使となって霊的出産を行う。

四六判 900ページ

定価¥4000

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内容紹介

CL33. 男性は理性的、女性は意志的に生まれついていることは、以上のような原初の形成から流れてくるものです。また同様に、男性は、知り理解し英知を味わう情愛をいだくよう、生まれついているのにたいし、女性は、男性にあるその情愛に自分を結びつけたいと思う愛をいだくよう、生まれついています。

 内部のものは、自分に似るように外部を形成していきますから、男性の〈かたち〉は〈理性のかたち〉であるのにたいし、女性の〈かたち〉は〈男性への愛のかたち〉です。男性が顔つき、声、体つきなどで女性とちがうのはそのためです。顔は角張り、声はどぎつく、体は強靭、しかもあごに髭をたくわえ、大ざっぱに言って、女性よりみにくい〈かたち〉をしています。それに身振りや生活態度もちがいます。一口に言って、何一つ同じところはなく、それでいて、いずれの箇所でも結びつく性格をもっています。むしろ言えることは、男性はあらゆる部分にわたり、その肉体の最小の部分までも男性的です。考えるときの概念とか、その情愛の一片にいたるまで、あらゆる点で男性なのです。それにたいし女性は、それとまったく同じような意味で女性です。というわけで、一方は他方に転換することはあり得ない点、死後も男性は男性、女性は女性です。


者あとがきより

 エマヌエル・スヴェーデンボルイの著作愛読者の方々お待ちかねの名著『結婚愛』のラテン語原典訳を、このたび世にだすことができて幸いです。和訳にさいしては、原語の意味するところに忠実であること、著者自身の意図を汲んだ訳にすること、日本人の読者にとって分かりやすい文体に訳すこと、この三つを特に心がけました。原典に漂うラテン文の簡潔さ、明晰さ、格調の高さに少しでもあやかれるよう心掛けました。さて本書は、同著者による『天界と地獄』の原典訳につづいて、五冊目の本邦初訳になります。

 まず内容について、一言ご紹介申し上げます。

 人間はみな神の像として創造されました。その神の像が最も端的に現れるのが男女の結婚です。神の本質は愛ですが、それが実在化すると英知になります。この愛と英知(あるいは善と真理)の結びつきは、あらゆる被造物のなかに見られます。自然界のなかに現れる熱と光の結合、植物におけるタネと大地、動物では雌雄、人間一人一人に備わる意志と理性の結びつきがそうです。さらに結婚における夫婦の結びつきには、それが最高度の形で具現されています。

 旧約聖書の『創世記』に、「神は自分の形に人を創造された。すなわち神の形に創造し、男と女とに創造された」(創世1・27)とあります。神はアダムを造り、さらにその肋骨で、助け手のエバを造られます。アダムはエバを見て、「これこそわたしの骨の骨、肉の肉」と言います。そして「人はその父と母とを離れ、妻と結びあい一体になる」(創世2・23、24)とあります。

 本書には、夫と妻(または男と女)とのあいだの本質的な相違が、次のように述べられています。男性の内部は愛で、それを英知が包んでいます。女性の内部はその男性の英知で、それを英知にたいする愛が覆っています。前者の愛は男性的愛で、英知を受けいれることによって主が夫に与えられるもの、後者の愛は女性的愛で、夫の英知をとおして主が妻に与えられるものです。男性は〈愛の英 知〉であるのにたいし、女性は〈男性の英知への愛〉であるということです(68頁)。また妻は夫の英知を愛することによって、夫の自己愛が妻への愛に変わり、自己愛によって滅びることを免れていると言います(185頁)。このよう結婚愛は、性愛と大差ない俗な結婚観とは違って、英知を渇き求め、その英知に向かって前進している夫婦に与えられます(193頁)。

 著者が繰り返して言っていることは、本当の純潔は、幼児や未婚者・独身者にではなく、このような一夫一婦のあいだにしか存在しないと言います(257頁)。ですからそこには、理想とする本当の結婚愛に向かう不断の精進があります。もちろん末端的には肉的に結ばれることですが、それは霊の合一、霊の一致を前提とします(296頁)。そしてこのような霊的次元での一致は、あらゆる存在と愛の源である唯一の神のみ力によらない限りは不可能です。

 後半の第十一章から、このような理想的な結婚にたいする障害が取り扱われます。すなわち夫婦愛の冷化、別居、離婚ですが、それほど深刻にならないまでも、それを防ぐための手段としての表面的な友情の効能などは凡人の参考になるし、現代のわれわれにとっても卑近な問題で、その解決を提供してくれます。婚約と結婚式のあり方とその意味は、これから結婚しようとする現代の若い人たちにとって参考になるでしょう。再婚についても、本書はあくまで結婚を永遠の視点から眺めているの で、この世で満足な相手に恵まれない場合、来世での出会いを期待させます。

 本書の最後の部分は不倫を分析します。不倫にもいろいろあって一把ひとからげに淫らでは片付けられません。とりあえず正式に結婚する前の性関係については、結婚後の不倫とはっきり区別しています。ですから本訳書では結婚以前のものを「私通」、結婚後を「姦淫」と言うコトバで表しまし た。その罪悪性の程度から言うと、私通よりも姦淫、姦淫より近親相姦がいっそう下劣です。また理性的な確信度と意志的な決断度によっても、程度の差を設けています。最後にもっとも邪悪なものとして、処女凌辱、女漁り、暴行、無垢荒らしをあげます。

 本書が現代人、とくにわれわれ日本人に何か語りかけるとすると、それはセックスの乱れを警戒することだけでなく、性的な秩序を守り、神が定められた道を歩むことによって、われわれ凡人でも地上最高に幸福な結婚愛の理想に到達できると言うことです。そのためには夫婦が神を信じてその掟に従い、自己改革と再生の道を歩んでいかなくてはなりません。そこには神の人類創造の目的があります。やがて夫婦は一位の天使となって、天界で霊的生産という役立ちに励みます。

 ここで訳者として、各章の最後に掲げてある著者の体験談とも言うべきメモ memorabilia につい て一言述べさせていただきます。メモの大半は『真のキリスト教』にも記されているもので、両方に共通するものがかなりあります。時代的には『結婚愛』のほうが三年ほど前に書かれましたから、 『結婚愛』のメモが『真のキリスト教』にも使われたと言ったほうが適当でしょう。われわれ凡人の通念からすると、メモがないほうが専門的・学術的な思想内容とその高さからも適当ではないかと思うことがありますが、著者自身はその考えかたを拒否します。メモはあくまで見たこと聞いたことであって、自分の想像の産物ではないことを本書の最初から力説します(2頁)。

 と言うことは、この結婚観は著者自身の頭から想像的に生み出された個人的な思想でなく、体験的な啓示であると言うことです。これについては読者側にこそ一つの決定的チャレンジを提示します。これを受けて立つか、単に聞き流して読むかによって、読者が結婚にたいしてもっている個人的な構えを浮き彫りにします。つまり自分自身の結婚観を、神の声と理性の声に従わせ、その結婚の理想を実現すべく意志を発動させるかどうかです。そうしない限り、この結婚観は架空な一片の理想像に終わるだけという意味では、大変厳しい書物です。訳者としても、著者のこの真剣な意図を見逃すわけにはいきません。

 本書『結婚愛』の正確な題名は、『結婚愛についての英知のよろこび-および不倫の愛についての狂気の快楽 Deliciae Sapientiae de Amore Conjugiali - post quas sequuntur Voluptates

Insaniae de Amore Scortatorio 』(アムステルダム、一七六八年)で、翻訳にあたって使ったラ テン原典は、一八八九年S・H・ウースター師監修によるもので、英国スエデンボルグ協会発行の一九八二年版です。

 なお、著者のエマヌエル・スヴェーデンボルイについては、今まで小社アルカナ出版から、すでに原典訳『天界と地獄』(一九八五年)、『真のキリスト教上下』(一九八八、九年)、『神の愛と知恵』(一九九一年)、『神の摂理』(一九九一年)を出していますから、ご存じの方も多いのではないかと思います。また著者の小伝は、『天界と地獄』の巻末に掲載してありますから、ぜひ参照してください。